ナンプラーよりも塩こうじよりも。

みんなの万能調味料 Snow Man/向井康二くんを応援しています。

担降りじゃないけど担降りブログみたいなもの。

長らく仕事が忙しかったりで書きたいブログも書けずにきてしまい、レポ系やら、デビュー前後の怒涛の感情記録とか、そういうのを全てすっ飛ばしているけれど、ちょっとどこかでいつかちゃんとまとめておこうと思っていた担降りブログ的なものを、仕事が落ち着いてきた&コロナで毎日家にひきこもっている中、少ししたためておこうと思う。

レポ系っていうと、映画少年たち実演(さすがに現地にはご縁なかったけど)、滝沢歌舞伎ZERO、たまアリIsLAND Festival、三婆康二くんお誕生日公演、サマパラ、運命の8・8、少年たちTo Be!、そしてデビューを経てタイのJapan Expo…いっぱい駆け抜けたね…。
Twitterにはその都度垂れ流してきたけど、先日、滝沢歌舞伎から個人的1周年…!ってエモエモの気持ちで過去ツイ掘り起こそうとしたらまともな感想ツイートがほとんどなくてびっくりした。

そう、あの頃はまだ怯えに怯えてた。
元来のツイ廃の私が当たり障りのないことしかツイートしなくなっていたほど、私はSnow Manを取り巻く環境、ファンのありかたとか、そこらへんを勝手に恐れていた。
加入組担はひっそり息をひそめつつ、自担をひたすら愛でる。
そうしてメンタルを保ってた。懐かしい。

前置きが長くなったが、
とあるジャニオタの、担降りブログに似て非なるもの。誰も読まないけど未来の私が読み返すので書き残す。
ちなみに担降りではないと思う。
私の中の康二くんが「そろそろ素直になっていいんじゃない?」って言ってくるから本音を言うけど、掛け持ちであることから完全に降りるのはおそらく難しかった。
康二くんを担当と呼べるくらいになったのはSnow Man加入のタイミング。
私の中のプライオリティピラミッドの頂点に康二くんがいることをどうしたって認めざるを得ないと気付いたのが4月の滝沢歌舞伎ZERO。
そこから一年が経ったけれど、結局私は、プライオリティの開きは増したけど掛け持ちは掛け持ちのようです。今のところね。

2019年1月のSnow Man増員を経て、4月。
色々考えた。そりゃもう、ほんとに色々考えた。

担降りではない、んだと思う。たぶん、たぶん。
私は自分にずっとそう言っていた。

ジャニーズ歴に限らずプロ野球界隈でもひたすら掛け持ちしまくってきた私だし(野球オタ(野球選手オタ※not 球団ファン)にはジャニオタ上がりが非常に多い。
私は逆パターンで、ゆるくジャニーズ全般好き~~って言ってたら知らず知らずのうちにジャニ上がりもしくは現役ジャニオタの彼女たちに影響されて野球界隈からジャニ界隈(の深い沼)にやってきた感じ笑)、掛け持ち対象の方々みんなナンバーワンのオンリーワンと言い続けてきていたから、これからもきっとそれは変わらないと思うし、ばっさり降りられるかって言ったら今までもそうだったようにこれからも絶対に無理だと思うから。

でもね、やっぱり、自分の中にある優先度というか、例えば同じ日に現場が重なった、どっち申し込む?なんてことがもしあれば、どっちを取るか、っていうのはあるにはあるわけです。
それが掛け持ち対象の相手たちに対する順列だと言うのならば、それは否定できない。
そしてその順序を変える行為が担降りだという定義だとするならば、これは担降りだということになる、のかもしれない。
私はいつまでも自分にはそうだと言い聞かせないけれど。
だって好きだもん。DDじゃないの、ほんとにそれぞれのことが!好きなんだもん!笑

長年の松本担を降りる気は、やはりまったく無い。これは断言できる。
いつだって松本潤さんは天使だし、最高にかっこいいし可愛いし、かと言って殿堂入りなんてこともなく、私の中でとっても大事な存在であることに今までもこれからも変わりはない。
とかえらそうなこと言ってるけど全然長年なんて言えないんだよな。
野球界隈で忙しすぎてという理由と、なんとなくあの某事務所のこと自体にはよろしくない印象を勝手に抱いていて(深い闇を抱えているアンチの母の影響も強い、、)、お金落としたら負けだと思ってたんだよね。
バカだよね。もっと落とせよお金。今買わないと将来買えないものも山のようにあるんだぜばーーーーかto過去の私。
激ゆる松本さん大好きマンから松本担とちゃんと言えるようになったのは、おそらく2014年からなんだろうな。
浅い。浅すぎるぞ!!FCもそこから入ったよ!150万台!ぴちぴち新規かよ!(とか言ってる間に今軽く300万に届きそうらしいけど)
激ゆる好き好きから大好きになったのは2005年の花男、あれで完堕ち。少女漫画は全く読んでこなかったけど、本当に松本潤道明寺司は最高だったな。
私の非常につたない語彙力で松本さんを語るにはしのびないくらいに好きなんだけど、いつか気力と根性と書こうかなって気が起き次第、ぶつけたいなとは思ってる、ここ何年間か。笑

花男で完全にすっ転んだという経緯もあり、道明寺様が出るなら見てもいいよくらいの超上から目線で見始めた花晴れで、前々からじわじわと気になっていた平野くんに転げ落ちたのが2018年5月。
年下だけは好きにならないようにしようというどこの界隈でも(アイドルでも野球選手でも)守り通してきた、際限無くならないようにと定め続けてきたマイルールをいとも簡単に吹っ飛ばした威力が、紫耀くんにはありました。
かわいい。保護したい。と思ったらかっこいい。しぬ。しなないけどしぬ。

ああ私はジャニ界隈でも掛け持つことになるのか…と頭を抱えながらも担当だと認識するようになった紫耀くん。
疲れていたり悲しいことがあったときに、いつものふにゃふにゃした紫耀くんのおててふりふりを見たり、こちらの想像を軽く超えてくる発言を見聞きすると途端に元気になる。
そしてやはり思い出すのは、(べつに死にたい死にたいとメンヘラってるわけではないけれど)Ride On Timeで彼が語っていた、僕と関わった人には死なないでもらいたい、という言葉。
彼らしい言葉のチョイスの一方で、あんなに切なそうな表情を見せられたら、関わってしまった、一度だけだけどファンサも頂いてしまった(デビューコン横アリ初日)身としては、ありがとう強く生きるねって思い直せてる。
かわいさに死にそうになるけど、生きて、生きて、またかわいいあなたをいつか見られたら嬉しいです。
(脱線するけど、掛け持ち忙しすぎるしもうやめよう、感謝を込めて卒業しよう、という強い心持ちで臨んだ2019年12月の帝劇でしたが、あまりの紫耀くんのスターとしての輝きぶりと、あまりの顔面の無敵さに惚れ直し、終演後ひとこと目に友人に「だめだ…顔が…好きすぎて…卒業できなかった…」と呻いたりしておりました。)

話を戻そう。
基本的にめちゃくちゃに凝り性な私、好きになった人の過去は出来る限り掘り返してさらに好きを見つけたいし、リアルタイムでその人の人生を追えなかった部分については極力勉強したい、補いたい、知りたい、という欲が強い。
紫耀くんの過去をごりごり掘り返す中で本格的に落っこちたのが向井康二くんの沼である。

良いか悪いかは別として(別としてはいけないのも悪いのも分かってはいるけど)、つべには大変お世話になりました。
過去のまいジャニたーくさん見せてもらいました。
そこにはいつもいつも可愛くてしかたがない、なにきん6人がいました。
キンプリデビューにあたって界隈が大荒れしているのも頷ける、6人でした。
信者たちと言われる人たちの言葉は時に辛辣で見るのもつらいものも多かったけど、そりゃこの6人なら妄信的信者(ごめんなさい、一部のね)を産むわ、と思った。
なんで今までこの最高の6人を、最強にかっこよくてかわいくて保護必至なKin Kan3人を知らなかったんだと頭を抱えた。抱えまくった。

のめりこんだ。
平野くん大好き大好き~が減ることは無いし、増える一方なんだけど、その横でじわじわと、私の心の中、脳の中で確実にスペースを広げて来る人がいた。

向井康二

なんだ彼は。すごいぞ。

アイドル界隈では前述の通り松本、平野、という道を来ていて、それをジャニオタ・非ジャニオタ、どちらにせよ言ってみるとなるほどなとか面食いとか言われるんです。
いやそれは間違いないし、だってお顔が綺麗な人が人の前に顔を出す職業を選んでくれただけで感謝だし、好きになったってよくない?(だめとは言われていない)

その私が、顔からじゃなく中身から入ってしまったんですね。
いや勿論お顔もめちゃくちゃにかっこいいし、大好きなんですけど、入口の話、私の中の意識の問題の話です。
よく、女性ファンからみて、男性の推し(好きなスポーツ選手でも俳優でもアイドルでも)に対して「かっこいい」という感情のうちはまだ救いがいがあると聞きます。
そしてそれに付随して聞くのが、「かっこいい」から「かわいい」になったら沼は深い、はまって抜け出せないと思え、と、まぁそういうニュアンスのこと、よく言われるわけです。

これなんです。
性格が最高だとかおもしろいとか凄いとか、挙句の果てには報われてくれなきゃ困るだとか、そういう部分からいきなりすっ転んでしまい、よくよくお顔を見たらめちゃくちゃに好きだった、これはやばいぞ、こわい、向井くんこわい、って、自分の中でもこんな急峻な坂運転できませんってレベルの坂を転げ落ちていく感覚だった。
いい大人でこういうことを言うのもアレだけれど、それでも私にはまだ、関西に対しての物理的な遠さという安心材料があった(と思っていた)。
今だから言えてしまうことだが、結局私は、関西ジャニーズJr.としての向井康二くんを、西の現場で見ることは無かった。
いつか、いつか行きたいな、でも遠征する?しないっしょ、くらい。
ばっっっっっかじゃないの!!!!行けよ!!松竹座!!城ホ!!梅芸!!行けよ!行けよ過去の私!金と時間ならそこそこ自由にあったはずだろアホー!!
といくら言っても時計は巻き戻せない。Jr.は諸行無常。というかデビューしたって諸行無常だものね。はー。

そんなこんなで、いつか生の康二くんを見に行きたいな~くらいにゆるいお花畑脳をしていた私にとって、2019年1月の衝撃はもうなんと言ったらいいか分からない。
言葉にできない。単に語彙力が無いだけとも言うけれど、私の頭の中の言葉じゃ言語化できない。
まぁ関西の現場に行ったことも無かったし、取られた、よりも、来ちゃう、の印象だったのは確か。
やっぱり東京目線なんだよな。東京にいるから仕方ないのかもしれないけど。
少クラは欠かさずに見ても、まいジャニを定期的に見てたわけじゃないし。
好きだけど、めっちゃ応援したいけど、時々覗きに来るね、がんばってね、という位置だったのかな。
今思えばなんでもっと真正面から応援しようとしなかったのって憤慨してるけど。
いつか行こう、の関西の現場、行くことないまま康二くんは東京にやってきてしまった。

滝沢歌舞伎ZEROには2回は入れました。それも連日。
my初日は3階席から全体を把握。翌日は2階席のかなり見やすい席から、前日に頭に叩き込んだ康二くんの個人的見どころをひたすらロックオン。
アイドルする康二くんも、歌舞伎の康二くんも、官兵衛の康二くんも、全部好きでしかなかった。
あぁ、これはまずいやつだな(よい意味で)、と、たぶん私は内心気づいていた。
ちょっとだけ、まだ気づかないふりをしながら。

ひらりと桜でふっかとアイコンタクトを取りながらにっこり笑っていた康二くんを、私的初日に3階席から目にしてしまい、心を揺さぶられ、もう頬を涙がつたってしかたがなかった。
生の康二くんを初めて見たこの日まで、たしか私は彼のことをじーこと呼んでいた。実際にツイートにも散見されている。
生で拝んだその日以降、私はなぜか彼のことをじーこと呼べなくなった。
リアコとかそういうものとは違うけれど(いい歳してるし)、康二くん、っていう人間として認識したんだろうなぁ。
あ、生きてはるっていう。


運の良すぎることに、私の名義はたまアリにも連れていってくれた。
当選が分かると、いそいそとうちわを作るためにオレンジの材料をあちこち買いに走り(べつにそこまでこだわったところでステージから見えるうちわなど見えても一瞬なのだけれど)、何を着ていこうかなとか、やっぱり行くなら参戦ネイルも手足ともごりごりのオレンジにしたいなとか、頭がいっぱいになった。
それまで自担カラーと認識するよりもずっと昔から好きだった紫色を単純に好きで、何色かある中から選ぶとしたら問答無用紫を選んでいた私が、気づけばオレンジを選びまくる日常、オレンジ色に反応しまくる日々を送っていることにふと気づいた。
メンバーカラーひとつ、されど侮ることなかれ。
オタクっていう生き物は色ひとつで幸せになれるし、色のない日々の中にメンカラが入った瞬間勝手にルンルンできるものである。

そう、私の中で、自担カラーはオレンジ、だった。

おそらく、どこかで最優先が切り替わったんだろうな。
付き合った記念日みたいな、そんなもの何もないけど、どうせなら明確にいつっていう日、分かりたかったな…。
自分でも本当に分からないんだもん。笑


たまアリで見た全力アイドル康二くんは、Snow Man9人全員だろうと、Travis Japanとなにわ男子も含めた総勢23人だろうと、ステージのどこで踊っていてもすぐに分かった。
(群衆の中から推しを見つけるスキルはおそらく野球で遠くの外野フェンス際をのそのそ走る推しを探し出す日々で培われたと思ってる。)
小さなお顔、というか頭部、長い手足、仕草全体の向井康二感(これがおそらく一番)、癖のありまくる全力シャカリキダンス(これも重要ポイント)。

たまアリ、三婆、サマパラ、8・8、少年たち。
そしてデビューを経ての、康二くんの第二の故郷、タイでのパフォーマンス。

これらを全部いっぺんに語るには重すぎるので、また時間ができたときにわーっと文章にできたらいいな。
ひとつ言えるのは、現場を経るごとに、YouTube等のコンテンツがあがるごとに、日を追うごとに、とにかく康二くんへの好きが増していくっていうこと。
TVも雑誌も、康二くんが好きっていう感情がどんどん大きくなっていく。現在進行形で。

 

話を最初に戻すと。
たまアリのLock on!の歌詞、冒頭ブロックの「そろそろ素直になっていいんじゃない?」を聞いて、思った気がするんだ。
延々と自分の感情に蓋をし、気づかないフリをしてきた自分に素直に向き合おうと思った。
あ、そっか、素直になってもいいかって。

担降りじゃないけど、人からみたらこれを担降りと言うのかもしれないね。
(まぁそんなこんなで夏頃にこのブログも紫仕様からオレンジ仕様に乗り換えたんだけどね。)

これからも自担(単数だったり時々複数だったり)の幸せを全力で祈っています。

はー久々にブログ書くとすっきりするなぁ。また書こっと。

 

‪とりあえず、Japan Expo Thailandの現地参戦レポだけは絶対に書きます。‬
‪あのイベントが発表されて、タイ…向井担が行かない訳には…と、飛ぶことを決意してから、私が取った行動は過去の同イベへの参戦オタさん(当然別界隈)のブログを読み漁ること。‬
‪初めてのタイ、なんなら初めての海外ひとり旅(タイまで来てくれる友達などいなかった)、めっちゃめちゃ過去の参戦ブログが参考になったので、私も来年以降のどなたかのご参考になればと、ちょっとした恩返し気分で、絶対に書こうと決めてる。‬
‪もちろん康二くんがかっこよすぎてしんどかった記録を残しておかなきゃいけないという向井担としての使命感もある。‬
‪そして、訳あって0泊3日(機中泊×2)という普通に泊まるより逆に金もかかる限界ハード日程で飛んだ私の遠征記録としても残しておきたい。‬
‪と思っている。‬
‪ ‬
‪は~康二くん好きだ~~~(大の字)‬